第一回水のまちシンポジウム講演者紹介1

2019年1月26日(土)水のまち:文化的景観としての都市構造

基調講演1 堀田 典裕(HOTTA Yoshihiro)

1967年 三重県生まれ。名古屋大学大学院工学研究科助教(建築・環境デザイン)。名古屋大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了 博士(工学)、日本学術振興会特別研究員、デルフト工科大学建築学部研究員などを経て現職。主な著作/『吉田初三郎の鳥瞰図を読む:描かれた近代日本の風景』(2009)、『山林都市』(2012)、『〈モータウン〉のデザイン』(2018)ほか。主な作品/「クリニックS」(2007)、「ソウル・マポ石油タンク再生公園国際設計競技入賞案」(2014)、「市営合葬墓基本計画」(2017)ほか。


講演の題目 重要文化財「馬場家住宅」に学ぶ〈にわ〉と〈たてもの〉の見方と調べ方

概要

柳川のまちは水に近く、〈にわ〉と〈たてもの〉は、いずれも密接な関係を持つことが知られています。「離れ庭」や「汲水」などの水に関する仕組や仕掛は、低地における〈にわ〉と〈たてもの〉の一体的なあり方を教えてくれます。全国に先駆けて、昭和52年(1977)から始まった堀割の水質浄化運動のお陰で、柳川は今なお川下りを楽しむことができますが、こうした水のまちの文化遺産は、屋敷の奥にあり、知らない間に失われつつあります。あるいはまた、これまでの〈にわ〉と〈たてもの〉の調査は、それぞれの専門家によって別々に調査され、個別の報告書としてまとめられるケースがよく見られます。

今回の講演では、私が関わった重要文化財「馬場家住宅(長野県松本市)」における調査結果を通じて、〈にわ〉と〈たてもの〉を一緒に考えるための見方や調べ方についてお話したいと思います。平成28年(2016)に重要文化財指定20周年を記念して、あらためて行った実測調査と文献調査に基づいて分析したところ、「本棟造」と呼ばれる民家の見方を一変する〈にわ〉と〈たてもの〉の関係を見出すことができました。「馬場家住宅」は、堰から〈にわ〉に引き込まれた清流が一部をなす「蔵風得水」の地形に、複数の棟からなる〈たてもの〉群が敷地全体を「巴型」に二分するように建てられています。ここでは、こうした屋敷全体の構成と関連付けて、有明海周辺に遺る「くど造」に並ぶ正方形平面の「本棟造」の見方についてお話ししたいと思います。


<水研と堀田先生との関わり>

初めて堀田先生にお会いしたのは2006年の4月、当時シドニー大学博士課程在学中の岡山が名古屋大学大学院国際開発研究科でトークをした際に同行したシェルトンが、名古屋大学大学院工学研究科を訪問したときだったと思います。翌2007年、博士課程を修了した岡山は国際交流基金のフェローとして国際開発研究科に12月から半年間滞在し、シェルトンもまた客員教授として堀田先生の学部にお世話になることになり、さらに親交を深めることになりました。その後しばらくして、岡山、シェルトンともメルボルン大学に移動することになります。メルボルン大学建築デザイン都市計画学部では海外演習の授業があり、シェルトンは大学院の学生16名を連れ、名古屋大学で都市デザイン演習を2週間にわたり実施しました。翌年、今度は堀田先生が名大大学院生を伴いメルボルン大学を訪れ、シェルトンの学生と共にメルボルンの街を取り上げて都市デザイン演習を実施。その成果は小冊子にまとめられ、メルボルン大学で行われた学生の作品パネル展示には、在メルボルン総領事をはじめ多くの人が訪れ好評を得ました。岡山とシェルトンは2016年柳川に移り住み、2017年柳川商店街の若手事業主三人とともに「水のまち研究会」を発足させ、堀田先生にお願いしアドバイザーとして水研に参加して頂くことになりました。現在、柳川で行われているシドニー大学の海外演習は、このメルボルン大学と名古屋大学協同の都市デザイン演習から派生したものです。

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